浜田太 エッセイ集
その6 方言廃止運動
誰でも子供の頃の思い出は、つい昨日のように、記憶というたんすの引出しから取り出す事ができる。
忘れる事ができない1つに、方言廃止運動がある。
奄美が日本復帰して間もない昭和30年代の奄美は、どこの学校でも「方言を使わないようにしましょう」が一大スローガンだった。
高度成長期が始まり、人々が仕事を求めて地方から都会へどんどん流出し始めた頃だった。
標準語を使わないと都会では馬鹿にされ恥をかく、だから方言をしっかり矯正させないといけないと、学校で廃止運動が行われていたのである。
しかし、渦中にある私達にとって大きな傷となって心の中に残ってしまった。
小学校に入るまで、方言で過ごしてきた私にとっていきなり方言を使うなといわれても標準語がわからない。
だからついつい使ってしまう。
先生に見つかるとビンタやゲンコツが飛んでくる。
ある日の児童会で「方言を使わないようにする為にはどうしたらいいか」ということが議題となった。
そこである熱血教師が見せしめに「方言札をかける」と強制的に決めてしまったのである。
以来、学校では生徒同志で「あいつが方言を使った」と告げ口をされ会話も安心して出来ない。
私も、「方言を使いました。」という方言札を付けられたことがある。
この屈辱的な見せしめで、「こんな島になぜ生まれたのだろう」と子供心に奄美に生まれたことを憎んだものだった。
当時の教育は「立身出世故郷に錦」がすばらしい生き方という教育が行われていた。
地方は古い遅れている。
都会が全ていいと、教育を受けてきた。
この頃から故郷に対する自信も誇りも持てなくなったような気がする。
そして次第に都会へ憧れ、大学へと進んでいくうちに方言も忘れていったのだった。
しかし、私たちの遥か遠い祖先がこの奄美に住み始めてこつこつ創りあげてきた方言は、私たちにとって「魂」である。
その魂を捨てなさいという教育があっていいのだろうか。
高度成長期の終焉であるバブル崩壊後のさまよう社会を見ると、私たちはあの30年代に多くを失いすぎたような気がする。