浜田太 エッセイ集

その13 島の魅力

JTA航空の機内誌「コーラルウエイ」を楽しみに読んでいる方は多いと思う。
'93年頃のことだっただろうか、初めてこの機内誌と出合った時、沖縄が手にとるように浮かび上がり何度も読み返したことを今でも覚えている。
さっそくバックナンバーを取り寄せ読みあさったものだった。

何かの形で奄美から情報を発信したいと思っていたころだったので全てが新鮮だった。
このコーラルウエイを教科書に8年前創刊したのが、情熱情報誌「ホライゾン」である。
私が営業と撮影、妻が編集長の「父ちゃん母ちゃん編集室」のスタートだった。

最大の目的は、私達奄美人が奄美の魅力をよく知らない。
多面的に奄美を表現することで奄美の魅力を浮ぼりにしたいと自然や歴史、文化等様々な角度から見せて読ませるビジュアルなものにしたかった。
執筆者は出きる限り各分野の地元の人たちを活用し育てて行きたいと編集方針を立てた。

ところが、1号造る度に夫婦ケンカの連続だった。
しかし次第に奄美の魅力が分かりかけて来た。
自然の成り立ちやそこに生きている生き物達が何処からきたのか。
私達のはるか遠い祖先はいつ頃何処から来たのか。
そしてどのようにして生活を成り立たせて来たのか。
どんな物を食べていたのか。
様々なことが分かってくる度に、奄美の懐の深さに驚くばかりだった。

いつの時代にも奄美の風土と向き合いしがみついて生きて来た祖先のこだわりが見えてきたのである。
そして現在も、奄美を自分のものにしている人々がいることもわかった。

たとえば与論島在住の与論民俗村の菊千代さんは昭和30年代の高度成長期にどんどん捨てられていく生活用品を集めて大切に保管してきた。
その生活用品から与論の歴史を振りかえることが出きる。

奄美では島唄の第一人者坪山豊さん。
奄美最後の船大工でもある彼も島にこだわっている一人だ。
今島唄が全国的に注目を集めているのも彼の功績が大きい。
このように島の魅力は一人でも多くのこだわり人間がその島にいるかで決まるようだ。

琉球新報社 落穂 2002.掲載