浜田太 エッセイ集

その10 道之島美の交流展

今年5月12日の母の日、念願だった沖縄芝居をようやく見ることが出来た。
戦前、奄美にも沖縄芝居がやってきたし、戦後奄美から沖縄に働きに行った人々の最大の娯楽が沖縄芝居だったという。
庶民文化としての沖縄芝居は奄美の人々にも無縁ではないと思い、写真家として記録しておきたかった。

昼間は、解散公演の乙姫劇団の名作「奥山の牡丹」を見た。
会場の県立郷土劇場はりっすいの余地も無いほどに芝居ファンがつめかけていた。
私も、涙を溜めながらの撮影だった。

このような歌劇が沖縄で創られ演じられていることに沖縄の力強さを感じた。
夜は、宜野湾公会堂で仲田幸子一座の公演を見た。
沖縄芝居のハシゴなんて、沖縄の方々はお笑いになるかも知れない。
が来てよかったと思った。

このように、昔から奄美は沖縄文化の影響を多く受けてきている。
このような歴史的背景から始まった交流が「道之島 美の交流展」だという。

先月28日その交流展のため沖縄に渡った。
沖縄県美術連盟と沖縄県写真協会、奄美から名瀬美術協会と奄美群島写真協会の会員が隔年おきに交互に開催し12回を数える。
私は、昨年から奄美群島写真協会の会長に就任し、初めての参加となった。

空港ではウイークデイにもかかわらず川平会長始め実行委員の皆さんが迎えてくださった。
会場のパレットくもじ那覇市民ギャラリィ―には、沖縄県写真協会の安里会長をはじめ会員の皆さんと久しぶりに再開し話しがはずんでいた。

展示作品を見回しながら、私の頭を様々な事が巡っていた。
沖縄と奄美は、良く「キョ―デ―ジマ」といわれる。歴史をさかのぼれば1609年薩摩に併合されるまで琉球王朝に治められていたし、ノロ文化がいまも残っている。

日頃から、奄美は鹿児島県に含まれていても文化は沖縄だという自論を持っていて、もっと交流を深めるべきだと思っていた。
歓迎に感謝しつつも、持続的な交流をするため、自分に何が出来るかを考えさせられる交流展となった。

琉球新報社 落穂 2002.掲載